往復書簡 5
本企画の演出を担当する田中秀彦と企画プロデューサーの百瀬友秀による往復書簡です。


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田中秀彦
コスチュームアーティスト、演出家
百瀬友秀
演出家

 

田中様

 まずは質問にお答えしようかと思います。生まれ育った土地独特の雰囲気を感じる時、ということですが、実は正直あまり感じたことがないのです(笑)。よく、海外などに行き、他の文化や風土に触れると己の環境の特質が初めて見えてくる、と、まことしやかに言われますが、私の経験上それは嘘だと思います。確かに違いは感じとれますが、その違いはあまり重要だと思えない。恐らく誰もがその環境にいればそうなる、その程度の差異だと思います。では、そうではない独自性(差異)を感じ取れないのは何故か。「その不感の原因は自らの身体的感受性の欠落にある」というのが私の考えです。つまり、その土地や風土に根ざした環境や雰囲気を感じ取るには感じ取る側に身体的な受信装置が必要であって、現代の都市生活者はその受信装置を動かさないように生きている。それは個人の能力というよりも社会システムに原因があるとは思いますが、とりあえず、現代ではそうなっている。満員電車が良い例ですが、あそこで身体的受信装置が動いていたら発狂してしまいますね(笑)。僕はここから始める他ないと思っています。「僕らは不感症である」という共通認識から始める。あえていうならこの「欠落感」こそが生まれ育った土地独特の感じと言えるかもしれません。以上が今迄私が考えて来た根本思想ですが、最近この考えに若干の修正が必要ではないかと思いはじめました。それは、この「感受性の欠落」といっているものは「欠落」ではなく、「未発達」と考えた方がよいのではないか、ということです。先ほど「欠落が社会システムに起因する」と述べましたが、それは社会システムの発達により感性が、破壊もしくは無化される、といったことではなく、むしろ人間の感性が社会の発達に比べて遅れていると考えるべきではないだろうか、ということです。こうなると、発達したあらゆるテクノロジー(僕は所謂自然現象も複雑なテクノロジーと考えています)により構成されている現代社会において、我々人間は「感性」という未発達のテクノロジーを抱えて生きているということになる。冒頭にあげた独自性を感じ取れない問題も、単純に感性が未発達だから、ということになります。あとは、それを発達させるかどうかと、もしそうならばどのように発達させるか、ということが問題になってくる。今回、田中さんが目的とされている「すでに共有している情報を空間演出によって更なる「触感」に昇華させる」とは、その意味で感性の開発ということになるのではないかと思います。

 では、具体的に作品を作る俳優とは、どのような能力を持った(上記になぞれば感性の開発された)人間だと田中さんは考えますか?演出家として抱く理想の俳優像が伺えればと思います。
5月13日 百瀬友秀